no name
日付:2016.10.29 カテゴリー:お知らせ what's new
営業日も残すはあと三日となりました
海猫屋を営業も経営もしているという感じはなくて、海猫屋と名づけた建物とともに過ごしている感じです
《蔵》と呼ばれ仕事をしてきたこの建物に名前をつけ、40年間をともにしてきたのですからマスターにとっては家族以上に長いつきあい。
生みの親のような思いですから(男性は子供も生まないですしね)家族以上に愛していたとも言えなくもないでしょう
暑さの夏はともに汗を流し、寒さの冬は暖炉に薪をくべ、吹雪の夜はともに音に耳を傾け、凍える日には店内にしたたり流れる氷の溶け水さえ、子供を看病する親のように愛情をもって面倒をみていました
店内のあちらこちらに空き缶をおいてしたたる水をポツンポツンと音をたてて受けていた光景さえご愛嬌。お客様もそれを受け入れ楽しんでさえいました♪
懐かしい思い出です
そして《海猫屋さん》も誰よりも主であるマスターを愛していました
家族以上にマスターを知っているのも《海猫屋さん》です。
あるじに喜びを与え、苦しみを理解し、孤独なときには静かに寄り添い励ましました
海猫屋さんはあるじの決別の決断を愛情をもって受け入れ、あと2日でその名前の看板を下ろします
no name
ほんとうに40年という長きにわたり多くの多くのお客様に来ていただきました
主であるマスターを支えてくれた大切なお客様やスタッフは《海猫屋さん》にとっても忘れがたいに違いありません
『マスターの友達でいてくれてありがとう』『私を愛してくれてありがとう』『幸福を信じています』
海猫屋さんの声がわたしには聞こえましたよ
(誰にでも理解できるわけではない)マスターを20年に渡り理解し(ようとしてくれ)友人でもあったイアクリニックの鈴木ドクター
来店を重ねるという、時間を割いての応援をしてくださった感謝は言葉では語りきれません。
そして10年前に海猫屋のスタッフで当時学生ながら苦楽をともにしてくれた将太クンも東京から!
彼らが来ると満席だった店内が不思議に一気に波が引いたようにお客様おかえりになり、この時期の海猫屋本来の静けさに包まれました
それぞれがそれぞれの思いで海猫屋に別れを告げてくれていたのだと思います
50年前の私のピアノもまもなくお別れなのですが鈴木先生が弾き始めると、精一杯美しい音を奏でて応えていました
海猫屋はなくなってもマスターの人生の新しい章でもお付き合いは続きます
新しいno nameという場所で
本当にありがとうございました
とても深い深い感謝の気持ちです
K