2008.05.16
ライブツアーの寄り道で海猫屋に顔をだして下さった下田逸郎さんとマスターです。何十年ぶりの再会だったのでしょうか。70年代の若き日には存在を意識しながら尖った刃物同士近すぎないところから言葉でない言葉を交わしていたのでしょうか。
点と点で同じ時代を生きてきて同じ歳の60歳となってやっと過ぎた年月や出来事を言葉にできる線となって語り始めたのでしょうか
当時、舞踏の制作の世界で活動していたマスターと唄や詩を通してメッセージを送り続けた下田氏とは、世界は違いながらも同じアンダーグランドに身を置いて同じ時代を共有した同志のような、私には分からない男同士の不思議な時間と空気が漂っていました
下田さんは初めてお目にかかりましたが、独特の空気と言葉をもっていらしてとてもセクシーなオヤジ(失礼!)でした 「らしく」生きることってそれだけで男の色気になるんですね 写真、手振れでごめんなさい m(_ _)m
男性は自分の馬鹿さ加減を自慢する無邪気な生き物のようです
60になっても子供のようなところがありますね
こんな再会があるなら歳をとるのは失うことばかりではない・・・案外良いものなのかも・・と思いましたヨ
あなた愛して気づいたことは
そうね、私もいつかは死んでゆくこと 「踊り子」の歌詞より
ん~深ぁ~いカモ・・歳を重ねなくては分からない詩もありますね
人生って短いのかもしれないけど、でも決して軽くはないって感じたりする今日でした
K